自分、そして他者を受け入れるための引き算

自分、そして他者を受け入れるための引き算

少し前にDAIJOUBUアレンジャーズと話していて、「引き算が大切」という話が出てきました。私も実はこれに思うところがあって、前回のコラムに書いた「自分をまるっと受け入れる」とも絡むのですが、今日はこのことについて少し書いてみようと思います。


いきなりですが、皆さんはあんな人になりたい、こういうふうでありたい、と思うことはありますか?

そしてこんなふうに思うことはありますか?

「自分はまだまだだなあ・・・」


私はEQと並んでマインドフルネスを実践しています。

マインドフルネスとは、意識を今ここに置くこと、そして批判や判断を挟まず、物事をありのままにみること、を言います。

一方、私たちは何かを見るたびに「好き、嫌い」「良い、悪い」「重要、ムダ」など、何かしらの判断を下しているものです。
冒頭の例は、実は私がしばしば陥る癖なのですが、これもその一つです。「あの人」、「こういう状態」を良いもの、理想として判断し、それになりたいと思っているのです。

この時の問題点は何でしょうか。

この例で言うと、「私は・・・」に続くように、ありのままの自分が受け入れづらくなってしまうことです。自分の「悪い」と決めた部分については、そこを見ないようにしたり、隠そうとするかもしれません。そしてそれがいつしかコンプレックスとなるかもしれません。

判断を下してしまうということは、ありのままの人やものごとを見たり、それ以上何かを深く見ることを阻んでしまうのです。

足し算の前の引き算

だからまず私たちが取り組むことは判断基準を手放すこと、つまり「引き算」だと思うのです。

思えばマインドフルネスやEQに出会うまで、足し算ばかり意識してきました。
何かになるために能力や知識をつけたり、子どもにも様々な経験をさせたいと思っていました。もちろん、それ自体は悪くないと思うのですが、今にして思うと十分な引き算がないままの足し算だったと思うのです。

そしてその結果、「理想」や「期待」に追いつけない自分、あるいは子どもを丸ごと受け入れるのが難しく感じる時がありました。そこで受け入れられなかった部分にも自分らしさ、子どもらしさがあるはずなのに。


染みついた思考の癖を手放すのはそう簡単なことではありません。玉ねぎの皮を一枚一枚剥がすように、剥がしても剥がしても別の癖があったりします。そう、やっぱり時間がかかるのです・・・。

でもその過程においても焦って足し算しようとしないことが大事だと思っています。
自分自身をジャッジせず、ただ見つめてあげること。
あ、また誰かにあこがれているなって(笑)。

私の実践する、チベット仏教(禅宗に近いイメージです)をベースとしたマインドフルネスでは、コンパッション(思いやり)とは誰かを憐れんだり優しくしたりすることではなく、こうした心の癖を取り除いたとき、自分に対して、他者に対して、自然に生まれるものと考えます。

自分に対しても他者に対してもジャッジせず、ありのままを認められるコンパッションの世界。

それこそ、「だいじょうぶ」の世界だなあ、と思うのです。


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